三沢光晴というプロレスラー知っていますか?
こんばんは、三沢光晴というプロレスラー知っていますか?もともとジャイアント馬場さん率いる全日本プロレスでデビューして2代目タイガーマスクもやっていました。それから全日本プロレスを離れノアという団体を創り、そこのエースとして活躍をしていました。
そして2009年46歳(今の僕と同じ年)と言う若さで試合中の事故?により亡くなってしまいます。めちゃくちゃ強くてカッコイイレスラーでした。僕が未だに鮮明に憶えているのは三沢のエルボーの凄さです。エルボーと言うのは肘で相手をぶん殴ることです。今でもあれだけ凄いエルボーを見たことがありません。「三沢のエルボー」というだけで2時間くらい語れるくらいのプロレスファンです。
リサイクルショップ社長の江口です。
プロレス全盛期
そんな僕のプロレス好きは小学生の頃からです。当時は金曜日の夜8時のゴールデンタイムにアントニオ猪木率いる新日本プロレス、土曜の6時からジャイアント馬場率いる全日本プロレスがテレビで放送されていました。今考えるとどれだけ人気があったのかわかりますよね。そして僕は断然新日派でしたね。
当時僕が自分で撮った写真の一部です。この頃は家にあったカメラを勝手に持ち出してフィルムで撮っていました。現像してみないと何が写っているのかわからない怖さがありました。
アントニオ猪木対ハルクホーガンのIWGP選手権、タイガーマスクのデビューは衝撃でしたね。スタンハンセンが全日に移ってブロディとのタッグでザ・ファンクスとの抗争など今でも思い出します。
えっ?何言っているかわからない?
いいんです。今日はプロレスファンのためだけに書いていますから~
将来プロレスラーになってもいい?
そんな江口武志は小学生の時にプロレスに憧れ、学校では休み時間の度にプロレスごっこをしていました。そして自分も強くなりたい、プロレスラーになりたいと思うのです。
中学生になってもその熱は冷めることはありませんでした。むしろ小学生の時よりも熱くなっていました。部活で格闘技(柔道)をやりたかったのですが柔道部がなかったため、当時キャプテン翼で流行っていたサッカー部に入ります。(ミーハーやん!)でも2年生になる時に新しく柔道部ができることになり、迷わずサッカー部を退部して柔道部に入りました。
普段から家でスクワットや腕立て伏せ、ブリッジして首を鍛えていました。だからかもしれませんが今でも体型のわりに首が太いんです。そして熱い想いを抑えきれなくなった僕は親父に懇願をします。
「俺は将来プロレスラーになりたい!」
もしかしたら反対されるかも?と思っていたら親父はニッコリ笑ってこう言いました。
「いいよ。」
「でもプロレスラーは身体がデカくないと強いレスラーになれないから身長180cm体重100キロになったらいいよ!」
プロレスラーを目指していた僕は?
そこから僕の行動は変わりました。少ないお小遣いやお年玉を切り崩しながらプロレス雑誌に載っていたプロテインを購入します。そして普通にご飯を食べた後にバナナや牛乳に溶かしたプロテインを毎食飲んでいました。
さらにこれまたお年玉を切り崩してボディービルジムに通います。50キロ、60キロのベンチプレス、100キロのスクワット、懸垂したりしてただひたすら身体を大きくしようと思っていました。
そんな生活を中学2年生から1年間続けたのです。
そして中学3年生の卒業まじかになった僕の体重は・・・
56キロ!!
細っーーー!!
そうです。じつは全然太れない体質だったのです。めちゃくちゃ細くてでも腹筋はバキバキでいわゆる細マッチョだったのです~
そんなこんなで高校生になって他に楽しい遊びを覚えてしまい、プロレスラーになりたいという気持ちもいつの間にか薄れてしまいました。そんな僕も今は72キロあります(笑)
46歳になった今でもプロレスは好きです。そしてリングに上がってみたいとも思っています。もうプロレスラーになるのは無理ですけどね。
子供の頃の夢ってありましたか?その夢叶いましたか?僕は現世では無理でしたが来世ではリングを縦横無尽に駆け巡るようなプロレスラーになりたいなぁ~
今日は以上です。
江口武志
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