独立して半年で倒産!?僕がリユースを始めたきっかけ【1話】

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こんにちは。以前アメブロで書いたことがあるリユースを始めたきっかけ。リライトしてワードプレスにも書いていこうと思います。長くなるので何回かに分けて書きますね。

リサイクルショップ社長の江口武志です。

うちの会社は今はお洋服やバッグなどを取り扱うリサイクルショップとSサイズレディースショップをやっています。でも最初は普通の婦人服のブティックからスタートしました。僕は二代目社長になります。

オープンするのに内装費が?!

今から25年前の話し(古っ!!)当時大手アパレル企業Wに勤めていた親父は50歳で会社を辞めます。そして自分でやりたいことがあると独立しました。もともと中国の満州で親父は生まれました。そして戦後に何とか日本に連れて帰ってくることができました。(もしも帰って来れなかったら中国残留孤児でした。僕も生まれていませんでしたね。)

だから日本と中国とのファッションを通して架け橋になりたい!そんな想いがあったのです。そして池袋の駅ビル(現在のルミネ)池袋が開業する時にオープニングイベントとして中国からファッションモデルと誘致したりしていました。

そしてその後、縁あってJR池袋の駅ビルの1階にシャンタルトーマス(Wのライセンスブランドでした)というレディースブランドのお店を開くチャンスをいただいたのです。

シャンタルトーマスはフランス人女性デザイナーで元々はランジェリーのデザイナーでした。それから服のデザインもするようになり、レースやフリルを取り入れたセクシーなデザインが特徴的でした。場所は1階の25坪 最高に良い立地です。

当時店舗を造るにあたって内装の打ち合わせをおこないました。その時にわざわざフランスからシャンタルトーマス本人が池袋まで来てくれました。そして内装にいろいろと希望を言います。

「ここはパリから輸入したあれを使え!」とか「このデザインはこういうデザインに変更しろ!!」シャンタルにとっても日本での旗艦店でしたのでかなり力が入っていました。

はっきり申し上げて・・・

口は出すけどお金は一銭も出しません!!

シャンタルの希望とおりのデザインで見積りを取ってみると25坪のお店で内装だけで・・・

5000万!! 

坪あたり200万!!(高っ!!)

独立した個人で出せる金額ではありませんでした。なのでそこからデザイン、イメージを変えずに削れるところを探し出して少しでも安くなるように削りに削りました。

しかし最終的な金額は

2500万!! 坪100万円かかってしまいました。これでも金融機関からやっとの思いで借入をしてなんとか準備したのです。

こんな綺麗なお店ができました

その時のお店です。正面エントランスです。

店内です。什器も全てオリジナルで作りました。

奥に見えるお姫様のお部屋みたいなのが試着室です。

オープンしたけど売上が上がらない・・・

そしてなんとかオープンすることができたのですが、最初の月の売上が300万円足らず・・・家賃、人件費、その他経費、銀行からの借り入れを考えると完全に赤字です。

せっかく自分でやりたいことしたいと独立したのですが「あと半年この状態が続けば倒産してしまう」まさに危機状態!!それでもお店は一向に売上が上がる兆しがありませんでした。

お店にはかなり優秀なファッションアドバイザーが揃っていました。Wを辞めた優秀なスタッフを集めていたのです。お店は高級感あふれる綺麗な内装でシャンタルの洋服を颯爽と着こなすファッションアドバイザー立っています。

そしてお客さまが入店されると獲物を待ち構えるハンターのようにいっせいに「いらっしゃいませ~!!」というもんですからお客さまはあわててお店の外へ逃げてしまう、そんな状態が続いていました。

売らなくていいからお茶を出して!

そこで社長である親父はお店の店長にこう言います。

「商品を売らなくていい、お客さまが入店されたらシャンタルが好きなハーブティを飲ませることだけをやってくれ。」

しかし、店長は言うことをききません。お茶を出さずにいつものように売るための接客をします。相変わらず、売上も低迷する中、もう一度、社長から店長に話をします。

「どうしてお茶を出さないんだ?」

店長は

「お茶なんか出しても無駄です!私たちは販売をするためにお店に来ているのです!」

社長は

「これは社長命令だ!販売をしないでよいからお茶を出しなさい!」

すると店長は

「それなら私、辞めます!私が辞めたら他のスタッフも皆辞めますよ!」

それは脅しでした・・・

(次回に続く)

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江口武志

社長:株式会社イー・エフ・オー 私は1971年、東京都台東区で生まれました。生まれてすぐに父の転勤で福岡に行きました。それから何回か転勤があり、小学校入学の時に東京都足立区に戻ってきました。足立区ってイメージ悪いですよね~だけど僕は大好きな地元です。 そして婦人服の専門店に就職していました。その後父が50歳の時に起業したアパレル会社に転職しました。現場(店舗)を中心に仕事をしていました。その後父が病気になって急遽社長になり、8年が経過しました。最初はいろいろと苦労しましたね。 これからもファッションを通して豊かな生活を提案すべく、いろいろとチャレンジしていこうと思います。 お神輿を担ぐこと、マラソン、格闘技観戦、美味しいものを食べること、そして仲間とお酒を飲んだり一緒に遊んだり、勉強することが大好きです。

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