月30万円の売り場が10倍の300万円になった?!僕がリユースを始めたきっかけ【10話】

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
Pocket

こんばんは。今日は品川で1500人も集まる会合に行って来ました。1500人もいるとどこに誰がいるのかわからなくなってしまいますよね。お会いできた人もいたけど会えなかった人もいました~今度は目立つようにメッシュでも入れていきましょうかね?

リサイクルショップ社長の江口武志です。

さて僕がリユースを始めたきっかけ10話目です。改めて昔のことを振り返ってみると変えてはいけないこと。そして変えねばいけないことが見えてきます。自分の考えの整理にもなりますね。前回の9話「買取りリサイクルショップじゃなくて委託販売にしたわけ」です。

そしてリサイクルショップのシステムが決まりました。池袋駅ビル社長からも渋々ではありましたが了承も得ることができました。それから平行して警察署で古物商の許可申請をしてなんとかオープンすることが出来たのです。そしたらすぐに問題が発生しました~

このブランド品を買い取ってください!

オープンして2日後に店長のAさんより電話が入りました。内容は「今、ルイヴィトンのバッグを買って欲しいと高校生くらいの女の子が来ています。どうしますか?」ということでした。

うちは買取りじゃなくてお客様からお品物をお預かりして販売する委託システムにしました。なのに買取りどうしますか?って何のことを言っているのかよくわかりませんでした。なので詳しく聞いてみると?

女の子が持ってきたルイヴィトンのバッグは新品でした。でも新品なのに付属の袋もなければどこで買ったかもわからないと言っていました。その話を聞いて嫌な予感がしました。もしかしたらどこかで万引きしてきたものかもしれない。(わからないんですけどね)

そしてその女の子は10000円でもよいから買ってくれと言っているそうです。店長からは「新品だし10000円で買えば50000円でも売れそうで絶対お得です。」とのことです。

僕も一瞬、買って売れば儲かる!って頭をよぎりました。でも冷静になって考えて店長にこう言いました。

「うちは委託販売専門なので買い取りはできないと断わってください!もし1度でも買い取りをしたらあそこは持っていけばすぐに買い取ってくれると広まってしまいます。もしかしたら犯罪の巣になってしまう可能性がありますから。」

そして店長は買取れないときっぱりと断わりました。その女の子は買い取りじゃないならやめると帰っていきました。もしもあの時買取ってしまっていたら・・・うちのリサイクルショップはなかったかもしれません。

チラシを毎日配りまくった

そして気持ちを入れ替えて店長と店長のお嬢さんと私たちとお店を知ってもらうために販促活動をしました。駅ビルの入口やエスカレーター周りや外の噴水広場で毎日チラシを配り続けました。先ずは存在を知ってもらうためです。誰も受け取ってくれなくてたった100枚のチラシを配るのに1時間以上かかる時もありました。この時の経験があるから僕は今でもチラシを配るのが得意ですよ~

そして少しずつチラシの反応が出てきたのです。

オープンして1か月もするとお家に捨てられないものが溢れて困っていたお客さまがたくさん来てくださいました。思っていたよりも大好評でびっくりしたことを憶えています。

どのくらい大好評だったかと言いますと?

売上が今までの10倍に?!

元々このリサイクルショップを始めて場所はクリーニング屋さんで月商30万足らずで家賃も人件費も払えないと言って退店してしまったところです。6坪のデッドスペースですから仕方なかったのかもしれません。

でもオープンして3か月目にリサイクルショップで売上が300万円を達成することができたのです!坪効率は今までの10倍になったのです!正直申し上げて僕もうちの会社の皆もビックリしました。まさかこんなに売上が上がるとは思っていませんでした。そして私たち以上にビックリしていたのが駅ビルの社長をはじめ駅ビルの営業の方々でした。

繊研新聞が取材に来てくれました

そして順調に売上を上げていくことができたのです。オープンして半年が経つころ繊研新聞(アパレル業界で一番有名な新聞です)が駅ビルに取材に来たのです。駅ビルの担当者がうちのことを繊研新聞の記者に紹介してくれました。

「じつは地下1階の6坪しかない場所に変な業種ができたんだ。リサイクルショップでね。デットスペースなのに良い坪効率をあげるんだよ。」

この話しを聞き、さっそく繊研新聞の方が取材に来られました。うちの想いや役割を話して後日、繊研新聞に掲載されました。

当時の新聞がこちら

記事を抜粋しますと

「死に場所でもお任せあれ」

EFO「メリット」

*月坪売上高は60万円を割ったことがない

*たんすの中の見直しと活性化に役立つ

*駅ビルなどのデッドスペースの活用

*お客さまにとって「持ってくる楽しみ、眠っているものを活かす楽しみ、買う楽しみ」

*客同士の情報交換の場になっている

こんなふうに紹介してくれました。この記事の掲載がきっかけで他の大型商業施設から声がかかり、少しずつお店が増えて現在に至ります。

うちのリサイクルショップの経営理念は

「地域の生活者の皆様に豊かな生活を提案します。」です。この経営理念の意味は次回に書きたいと思います。次回が最終回ですね~

The following two tabs change content below.

江口武志

社長:株式会社イー・エフ・オー 私は1971年、東京都台東区で生まれました。生まれてすぐに父の転勤で福岡に行きました。それから何回か転勤があり、小学校入学の時に東京都足立区に戻ってきました。足立区ってイメージ悪いですよね~だけど僕は大好きな地元です。 そして婦人服の専門店に就職していました。その後父が50歳の時に起業したアパレル会社に転職しました。現場(店舗)を中心に仕事をしていました。その後父が病気になって急遽社長になり、8年が経過しました。最初はいろいろと苦労しましたね。 これからもファッションを通して豊かな生活を提案すべく、いろいろとチャレンジしていこうと思います。 お神輿を担ぐこと、マラソン、格闘技観戦、美味しいものを食べること、そして仲間とお酒を飲んだり一緒に遊んだり、勉強することが大好きです。

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする